おはようございます。
日曜日の今日は仕事のゴリゴリした話をお休みして、今、思っていることをツラツラと書きたいと思います。
頭に浮かんできた順に文字に起こしていくので、きっと、まとまりのない文章になると思いますが、それは全て日曜日のせいです。ご容赦ください。
手紙のバトン
2012年に『オルゴールワールド』という絵本を発表しました。
「何年もかけて、たった一人に向けて作ったクリエイティブ」が、結果的に、たくさんの人に届く物語です。
2021年に出した『みにくいマルコ ~えんとつ町に咲いた花~』もまた、「たった一人に向けて作ったクリエイティブ」が、結果的にたくさんの人に届く物語です。
まさか、ストーリー展開が弾切れしているわけではありません(笑)。
#あの西野先生だぞ
昔、連続起業家の家入一真さんが酒場で「サービスを作る時は、身近な人の顔を思い浮かべて、その人に手紙を書くように作っています」とお話しされていて、激しく共感したことを覚えています。
僕には「50代男性」に届ける力も、「20代女性」に届ける力も、「Z世代」に届ける力も、「地方」に届ける力もありません。
「世代」や「地域」に届ける才能を持ち合わせていないのです。
「世代」や「地域」という括りは、範囲があまりにも広すぎて、一人一人の顔が浮かんでこなくて、「彼らがどんな言葉を待っているのか?」が分からないんです。
なので、僕には「一人に向けて作る」という選択肢しかありません。
『オルゴールワールド』や『みにくいマルコ ~えんとつ町に咲いた花~』の主人公達が「たった一人」に向けて作っているのは、それが理由です。
ここにきて僕がInstagramを始めた理由は、昨日もお伝えしたとおり、「このやり方だったら、兵庫県川西市に住んでいる西野少年(8歳)の胸を踊らせることができる」というのが分かったから。
Instagramもまた、一人に向けて発信しています。
さて。
「一人に向けて作る(発信する)」は、実に聞き心地の良い(なんとも主人公感のあるカッコイイ)言葉ですが、当然、“一人に向けて作っている”ので、基本的には食っていけません。
「一人に向けて書いた手紙」というのは、基本的には一人に届いて終わり。それが、たくさんの人の目にとまることなど滅多にありません。
僕自身、絵本作家として食っていける(と言える)ようになるまで、約10年かかりました。
もう一度言います。「10年」です。
テメエが“世間”に向けて発信していないのだから、世間から相手にされないのは当たり前の話ですね。
「それでもいい」と言い切れるかどうか。
終わることが約束されていない(食っていくことができない)「一人の時間」を引き受けられるかどうか。
僕が興味のある作品と、そうでない作品を分け隔てるものは、その覚悟の有無だと思います。
そういえば、『映画 えんとつ町のプペル』を発表した当時に、「物語から西野が透けて見える」と言われましたが、僕はそれでいいと思っています。
…いや、それ“が”いいと思っています。
西野亮廣が生んだ作品だし、ほとんどの人(世界)は西野亮廣を知らないので。
僕は、個人的な作品(個人が個人に贈った作品)が好きです。
『えんとつ町のプペル』は、僕が僕に向けて贈った手紙でした。
それが“たまたま”たくさんの人に届いたんです。
きっと、僕と同じように、皆さんもまた、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれてきたのでしょう。
それにしても、腹が減った。
#文字にすな
#思とけ
老いさらばえた国(日本)というのは本当にロクでもありません。
息をするように僻みや嫉妬を繰り返えし、かといって、そのゾーンから脱する為の勉強もしない。
意識が高かろうが低かろうが、その人の勝手ですが、知識が無いのは厄介だ。
海外を行ったり来たりしていると、日本に大量発生している「冷笑系」に虚しさを覚えます。
「貧しくなった国の冷笑系」ほど不毛なものはありません。
リレーで7位になったチームが、8位(最下位)のランナーを笑うような。
「誰からも相手にされていないところで足を引っ張り合う」
「たいして出てもいない杭を打つ」
こんなことを、この国はずっと繰り返しています。
とことん老いたのでしょう。
仕事柄、子供達と触れる機会が少なくありません。
あの子達は、この国で育ちます。
『映画 えんとつ町のプペル』の舞台挨拶の時にも話しましたが、あの子達に、こんな世界を渡すわけにはいきません。
「ほら、やればできるでしょ?」という希望を見せていかなきゃいけないし、
「たとえば、こんなやり方があるよ」という選択肢を、確かな裏付け(実績)と共に伝えていかなきゃいけない。
なんとかしなくちゃいけない。
今日は夕方から『プペルバレエ(子供達のバレエの発表会)』があり、夜はミュージカル『えんとつ町のプペル』の全編無料公開@YouTubeがあります。
僕が知る限り、この二つのカンパニーは、市場のニーズ(流行り)先行で作品を作っていません。
届けたい相手が明確にいて、その人に手紙を書くように作品を作っています。
彼らもまた「なんとかしなくちゃ」と思ったクチです。
バレエにしても、ミュージカルにしても、前例のない挑戦です。
きっと、心無い言葉も(知識ない言葉)もたくさん浴びてきたことでしょう。
何度か泣いている現場にも居合わせたことがあります。
♯とことんイジったけども
様々なものを耐え凌いで書かれた彼らの手紙が、今日、キチンと届くといいな。
そして、その手紙を受け取った誰かから、また物語が始まれば。
ロクでもな国が、ロクでもない時代を迎えていますが、こんな状況でも挑戦者達は「手紙のバトン」を連綿と繋いでいます。
今日はその一部を、一緒に見届けていただけると幸いです。
素敵な日曜日をお過ごしください。
西野亮廣(キングコング)
【追伸】
「https://salon.jp/nishino」を付けて今日の記事の感想を呟いていただけたら、西野がエゴサーチで見つけ出してニヤニヤします。
宜しくお願いいたします。
https://youtu.be/NYPy4vh3_dQ