70点には何の興味もないんだよね。
0点か100点しかネタにならないので、70点を取りに行く時間がまったく無駄になる。
レターポットを「換金する・換金しない」で意見が分かれた時に、換金をオッケーにした時に拡がる未来は簡単に見えた。
「それを、そうすると、そうそう、そうなるよね」
といった。
換金装置があれば、たしかに便利なんだけれど、でも、それは、やっぱり「70点」で、2018年に乱立するであろう『投げ銭アプリ』と本質は変わらないだろうと思った。
こういった選択に迫られた時に、答えは「最後まで見えない方に賭ける」の1択。
『換金装置を外したらどうなるかは最後までは分からないけれど、換金装置を付けたら70点程度の未来しか待っていないことは分かっているので、換金装置を外す』という1択だ。
「換金装置があった方がいいじゃないか!」という意見をフルシカトした理由がそれ。
「そんなことは分かっているんだけれど、そんなことを僕らがやる必要があるのか?」という。
結果、換金装置を外して正解だった。
外したことによって発生したメリットには、予想できていたものもあれば、予想できなかったものもあった。
換金装置を外したことによる大きな収穫は、「お金とは何ぞや?」を考えるアート作品になったことと、しばらく競合が発生しないことだ。
「1文字5円で買って、送る、手紙サービス」なんて、普通に考えたら誰も利用しないし、そんなペンペン草だらけの地に人生を賭ける起業家は、そうそういない。
なにより、『言葉の通貨』を実現させるには、発案者の圧倒的信用が裏付けにないといけない。
レターポットのリリースから、まもなく1ヶ月。
毎日、興奮している。
見えている面白い未来と、それ以上に、まるで見ない未来があるからだ。
先日の開発会議で、開発メンバーの藤岡さんから、「Twitterって、呟きツールみたいになってますが、それとは全然違う目的で開発されたんですよね。あれは、利用者が勝手に最適な利用方法を探しだして、運営がそれに食らい付いていったんです」と言っていて、Twitterは最高だと思った。
レターポットに対して想いが強い人は、「そんな使い方はおかしい!」と怒ったりもするけれど、それでもルールをガチガチにしていないのは、つまるところ僕らが予想できてしまう未来はそれほど面白いものではないからだ。
未知を受け入れ、変化を受け入れ、
ユーモアを交えて対応していく。