短編アニメーション『ボトルジョージ』の挑戦

投稿日:2022.07.08 / 西野亮廣エンタメ研究所

※この記事の内容は外部に発信していただいて大丈夫です。



 

おはようございます。
インスタグラマーのキングコング西野です。
#ついに肩書きが変わった

サロンメンバーさんの中から、「クリエイティブのど真ん中の仕事」を一緒にやれる人が出てきてくれることを願って、今日は「短編アニメーション『ボトルジョージ』の挑戦」というテーマでお話ししたいと思います。

 

持続可能な待ち合わせ場所
 

「自分の死と向き合うのは、死ぬ寸前(寿命を迎える寸前)」という人がほとんどだと思いますが、僕らは泣いても笑っても遅かれ早かれ確実に死ぬわけですから、今のうちから「死ぬ前提」で生きると、「だったら、これをやっておこうかな」「だったら、これはやめておこうかな」という新しい判断が生まれるので結構オススメです。

「死後の為に生きる」というよりも、「死後の為に生きてみたら、そこそこ面白い人生が待っていたよ」という話です。
#安心してください
#スピ系ではありません
#理屈の話です
 

僕は今『えんとつ町のプペル』という作品を作っていますが(※昨夜も脚本を書いていたよ)、僕が死ぬことは確定しています。

となると、僕が死んだ後も『えんとつ町のプペル』を作る人(作りたい人)が生まれる仕様にしておかないと、『えんとつ町のプペル』は死んでしまいます。

落語や歌舞伎やバレエの「古典作品」は、その問題をクリアしていて、今日も、今を生きる表現者達によって、上演され続けています。

一方で、作者と共に死んでしまう作品もある。

この二つの作品の違いは、「クリエイターが解きたくなる問題が内包されているか、否か?」で、クリエイターが解きたくなるような問題が入っている作品(クリエイティブ心がそそる作品)は、その時代その時代のクリエイターの「待ち合わせ場所」となり、死ぬことを忘れます。

「解きたくなる問題」という言葉を、分解すると「いい感じの制限」と「いい感じのリターン」になります。

たとえば、『ガンプラ(ガンダムのプラモデル)』なんて、まさに。

今日も世界中のクリエイターが、「私なりのガンダム」を作っているわけですが、あそこにはキチンと「制限」があります。

つまり、「好きなように手を加えてもらっていいよ」と言われても、ガンダムがセーラー服を着ることはないんですね。

「なんでもOKだよー」ではなく、“ガンダムの世界観の中”で、『私なりのガンダム』を作ることが求められているんです。

となると、当然、ガンダムのストーリーはインプットしておかなきゃいけないし、理解を深めておかなきゃいけない。

そして、

その制限の中で、自分のクリエイティブを発揮し、上手くできた時には、ガンプラコミュニティーから称賛されるという「リターン」がある。

これが「制限」と「リターン」です。

つまり『ガンプラ』というのは、大喜利の題材なんです。
ガンプラの勝者は、「たしかな技術を持っている人&面白いことを考える人」です。

作品を、「次代の才能の持続可能な待ち合わせ場所」にしたいのであれば、作品を大喜利化する必要があるわけですね。
#さすが西野先生
#話が分かりやすーい
#毎度勉強になるよねー


『えんとつ町』も、このライン(発想)から開発しています。

建築士の只石さんや、美術の佐藤さんが作る『えんとつ町』は、ルールにのっとった上で、答えを出していて、そこには「なるほどー、そうきたかー!」の面白さや、「やられたー!」の痛快さがある。

そして、そこで出された答えをチョットずついただいて、次に活かす。
『ガンプラ』も、一般のプラモデラーさんからいただいたアイデアは少なくないでしょう。

そんな感じで、コミュニケーションをとるように、AIに情報を飲み込ませるように、クリエイティブを重ねていった先にあるのが、死ぬことを忘れた「古典作品」「スタンダード」だと僕は考えています。

なので、その作品を観れば、その作品の寿命は分かって、その作者の他の作品を観れば、その作者の(おおよその)寿命が一目で分かります。

作品を観るときに、「面白い/面白くない」以外に、「大喜利の素材力があるか、否か?」というモノサシを持っておくと、ちょっと面白いです。

 

刹那的な作品の残し方
 

一方で、「刹那的な作品があってもイイじゃん」と思っています。

「一話完結で、大喜利の素材力がない作品」のことです。
「面白いだけの作品」と言ってもいいかもしれません。

僕は、
売る為に作っているわけじゃなくて、
食っていく為に作っているわけじゃなくて、
作りたくて作っている(自分が観たいものを作っている)ので、「面白い」の奴隷でありたいと思っています。

となってくると、「面白い物語を思いついちゃったけど、これは、次代のクリエイターの大喜利の素材にはならないな」という作品を捨てるわけにはいきません。

ただ、できれば、10年後や、20年後の子供達にも(その刹那的な作品を)届けたい。

さて、どうすればいいのでしょうか?

僕の中では、この「刹那的な作品を10年後、20年後の子供達に見つけてもらうには?」という問題の答えを出していて、それは、『劇中劇にしてしまう』です。

劇中劇というのは、物語の登場人物達が、その物語の中で演じる「劇」のことです。

『映画 えんとつ町のプペル』にも、『えんとつ町のプペル』という劇中劇(ブルーノが作った紙芝居)が出ています。

『えんとつ町のプペル』が生き続ける限り、「ブルーノの紙芝居(劇中劇)」は生き続けるわけですね。

なので、「一話完結で、大喜利の素材力がない作品」は、ハナから「持続可能な物語の中で演じられる劇」にすればいい…というのが僕の結論で、それもあって、絵本『オルゴールワールド』は、登場人物達が全員「マリオネット」です。

こうしておけば、たとえば『えんとつ町のプペル』の続編で、ルビッチ達が『オルゴールワールド』という人形劇を披露することができる。
そうすれば、刹那的な作品である『オルゴールワールド』の寿命と、『えんとつ町のプペル』の寿命がイコールになります。
#天才みたいなことを言ってるよ

今、作っているショートアニメーション『ボトルジョージ』もその発想で、「コマ撮りアニメ」にすることで、劇中劇化できるようにしようと思っているのですが、「コマ撮り」となると、制作は、まぁ大変です(笑)

しかしまぁ、短い人生なので(時間に余裕があるわけでもないので)、どうせなら、なるべく面倒臭いことをやった方がイイのでしょう。

「面倒だけど頑張ります」という決意表面でした。

現場からは以上です。


【追伸】

https://salon.jp/nishino」を付けて今日の記事の感想を呟いていただけたら、西野がエゴサーチで見つけ出してニヤニヤします。
宜しくお願いいたします。
 

【追伸】

僕を育てた師匠が、僕のことを書いてくださってます。
この記事、メチャクチャ面白いのでオススメです↓

https://note.com/rozansuga/n/nfda42900e6c1

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