ハイコンテクストすぎる日本人(あるいは大人)

投稿日:2022.08.03 / 西野亮廣エンタメ研究所

※この記事の内容は外部に発信していただいて大丈夫です。


おはようございます。
コウモリと猿を立て続けに食べているコモドオオトカゲを見て、「味とかどうでもいいんだな」と思ったキングコング西野です。

さて。
今日は『ハイコンテクストすぎる日本人(あるいは大人)』というテーマでお話ししたいと思います。

 

「言わなくても分かるよね」が行き過ぎた結果


海外の方と仕事をしていると、「文化の違い」について思い知らされることが多いのですが、今日は、そのような話をしたいと思います。

よく、「NOが言えない日本人」と言ったりしますが、「なぜ、日本人はNOが言えないのか?」を掘り下げて考えていくと、「日本人は気が弱いからNOが言えない」ではなくて、「日本の『NO』の破壊力が凄すぎるからNOが言えない」という方がシックリきます。

海外スタッフとのコミュニケーションの中で使う「NO」は、「より良いものを作る為には、そっちは選ばない方が良いと思う」という雰囲気が漂っていて、「NO」に対して、「オッケー!」という明るい言葉が返ってくるのですが、日本国内で「NO」を出してしまうと、怒っているように捉えられてしまったり、あとは「人格否定」のように捉えられてしまったり、なんだか、ものすごく空気が悪くなっちゃいます。

日本の「NO」は、なんだか「よっぽどのこと」なんですね。
「もう、絶対にイヤ! 本当に嫌だからっ!」みたいに脳内翻訳(解釈)されてしまう。

なぜ、「日本のNO」だけが、それだけのパンチ力を持ってしまっているのか?
理由は、日本が「ハイコンテクスト文化」だからだと思われます。

「ハイコンテクスト」というのは、前提となる文化・価値観が非常に近い状態のことを指します。
その逆が「ローコンテクスト」です。こちらは、共通の文化や共通の価値観が少ない状態のことですね。

日本人は、日本で生まれて、日本で育って、基本的には、“日本人は日本人としかやりとりをしない”ので、「こういう時は、こうだよね」が言わずもがな共有できています。
「ハイコンテクスト文化=空気を読む文化」といったところでしょうか。

言わなくても分かる者同士のコミュニティーなので、「NO」という言葉を発した時に、そこに「言わないと分からないのかよ」が含まれてしまう。
「NO」にカジュアルさが無いんですね。
これにより、『よっぽど嫌』という雰囲気が流れてしまうので、「NO」が言えなくなる…といったところでしょうか。

ハイコンテクスト文化の島に生まれ、ハイコンテクスト文化の島で育った僕ら(日本人)は、自分達が異常なハイコンテクスト人間だという自覚がありません。
まわりの人間が全員ハイコンテクスト人間だからです。

今日の話は、「僕たち日本人は、自分達の異常性(ハイコンテスト値が爆上がりしていること)について、もっと自覚的になった方がいいよね」というところなのですが、これは「国内/国外」を跨ぐ時にも大切になってきますが、「大人/子供」を跨ぐ時にも大切になってくることだと思っています。

ちょっと話はそれますが、昨日、30年ぶりぐらいに映画『ネバーエンディングストーリー』を観たんです。
子供の頃に「金曜ロードショー」か何かで観た記憶はあって、楽しかった記憶は残っていて、シーン(景色)も残っているのですが、「どんなストーリーだったか?」は忘れていたので、あらためて観返してみたんです。

結論から言っちゃうと、映画の『ネバーエンディングストーリー(はてしない物語)』は、ストーリー作りがメチャクチャ雑だったんです(笑)。

主人公が女王を救うモチベーションもよく分からないし、主人公の感情曲線がブツ切れなので、まるで感情移入できない。

主人公をずっと追い回してきた敵「グルモク(怖い狼)」は、いよいよ巡ってきた主人公との対決で、3秒ぐらいで死にます(笑)。
そして物語は、グルモクなど存在しなかったかのように、次の「工程」へと進みます。

「『出来事』が積み木のように重なっている1時間半」で、そこに「理由」なんて、あまり無いんです。ジェットコースターのコースのデザインのよう。
急降下するシーンがあるのは、「だって、急降下した方が面白いから!」のみ。

僕は、この世界にそこそこ長くいるのですが、こういった「出来事ファースト」&「感情・理由あとまわし」な作品を、業界の人間や、コアファンは「文脈がー」とか「理由がー」とか「感情がー」と否定します。

ただ、机上論ではなく、「子供の頃に見た『ネバーエンディングストーリー』が、なんか面白かった」という記憶は、事実としてあります。
ファルコン(竜みたいな犬)にまたがって空を飛んだり、目からレーザーを出してくるスフィンクスの前を通ったり、馬が沼に引きずられたし、巨大岩のモンスターが岩をボリボリ食べていたり…そういったシーンにドキドキしたことを覚えている。

大人になると、「出来事ファースト」を否定し、「感情・理由ファースト」を優先しがちですが、どっこい、子供の頃は「出来事ファースト」の作品に胸を躍らせたのです。
『千と千尋の神隠し』も、どんなストーリーだったか覚えていませんが、「『鎌爺』や『カオナシ』が出てきて楽しかった」という記憶は覚えています。

日本人の中でも、「ハイコンテスト文化」と「ローコンテスト文化」は存在して、成長する過程で、いろんな価値観を共有していくことになるので、大人になればなるほど「ハイコンテクスト文化」になり、「こういう場合は、本来、Aを選ぶハズなのに、Bを選ぶなんておかしい。なんでBを選んだの?」みたいな目線になってしまう。
つまり、「理由・感情ファースト」になる。

一方で、まだ真っ白な子供は、子供ごとに持っている情報が違うので、まだまだ「ローコンテスト文化」で、「理由」や「感情」よりも、「出来事」の方が楽しめる。

気をつけなきゃいけないのは、「『出来事ファーストの作品』よりも、『理由・感情ファーストの作品』の方が優れている」と結論してしまうことで、それは、あくまで「ハイコンテクスト文化」の結論であって、「ローコンテクスト文化」の結論ではないことを忘れちゃいけないなぁと思いました。

※「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」は、性格の問題であって、優劣の問題ではない。

今日はこのあと『映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』の会議です。
子供心を忘れずに会議に臨みたいと思います。

現場からは以上です。

【追伸】

https://salon.jp/nishino」を付けて今日の記事の感想を呟いていただけたら、西野がエゴサーチで見つけ出してニヤニヤします。
宜しくお願いいたします。

※この記事にコメントしたい方はFacebook連携が必要です。
10/11
2024
チラ見せ
10月27日に備える
10/10
2024
チラ見せ
松本人志最強説
10/9
2024
チラ見せ
川原卓巳さんから聞いた『ナルホド』な話
10/8
2024
チラ見せ
密着ドキュメンタリーが撮らなきゃいけなもの

ルール

内容はシェア・口外禁止です。

※ただし、投稿から1年が経過した記事はサロンメンバー特典として、
口外 ( コピペ ) OK!でも「右上にマル秘マーク」のあるものは
公開しないようにお願いします。